歴史・沿革

1975 -

彫刻学科研究室分離から昭和63年

1975

昭和50年

4月 保田春彦、教授に昇任。若林奮、助教授に就任(80年教授、83年退任)。

「彫刻学科共通彫塑準備室」は「共通彫塑研究室」となる。(主任教授職は昭和62年(1987年)まで不在)この年の授業は、夏期スクーリング(短期大学)のみ、彫刻学科研究室と2研究室合同で実施。

保田春彦教授・若林奮助教授 / 講師 = 三浦重雄・篠田守男 / 助手 = 鈴木久雄・脇谷徹 / 教務補助員 = 三上安子

学部10科目 短大6科目 計16科目 担当学生数1165名

1976

昭和51年

保田春彦教授・若林奮助教授 / 講師 = 三浦重雄・篠田守男 / 助手 = 鈴木久雄・脇谷徹 / 教務補助員 = 三上安子

学部10科目 短大6科目 計16科目 担当学生数1161名

1977

昭和52年

保田春彦教授・若林奮助教授 / 講師 = 土谷武・鈴木久雄 / 助手 = 脇谷徹・堀越雄 / 教務補助員 = 東川晃子

学部10科目 短大5科目 計15科目 担当学生数1156名

1978

昭和53年

保田春彦教授・若林奮助教授 / 講師 = 土谷武・鈴木久雄 / 助手 = 脇谷徹・堀越雄 / 教務補助員 = 嶋展子

学部10科目 短大6科目 計16科目 担当学生数1161名

1979

昭和54年

保田春彦教授・若林奮助教授 / 講師 = 土谷武・鈴木久雄 / 助手 = 脇谷徹・堀越雄 / 教務補助員 = 嶋展子・今村佳代子

学部10科目 短大6科目 計16科目 担当学生数1160名

1980

昭和55年

10月 11号館竣工(現11号館A棟)。1号館北(2007年現在の10号館の位置)にあった第4校舎から現在の位置に研究室を移転。

保田春彦教授・若林奮教授 / 講師 = 土谷武・鈴木久雄・脇谷徹/ 助手 = 堀越雄・小室正光 / 教務補助員 = 柏崎栄子・藤岡仁美

学部10科目 短大6科目 計16科目 担当学生数1160名

1981

昭和56年

保田春彦教授・若林奮教授 / 講師 = 土谷武・鈴木久雄・脇谷徹/ 助手 = 堀越雄・小室正光 / 教務補助員 = 藤岡仁美・山崎道

学部10科目 短大5科目 計15科目 担当学生数1161名

1982

昭和57年

保田春彦教授・若林奮教授 / 講師 = 土谷武・鈴木久雄・脇谷徹 / 助手 = 小室正光・山崎隆 / 教務補助員 = 山崎道・大野篤子

学部9科目 短大5科目 計14科目 担当学生数1016名

1983

昭和58年

保田春彦教授・若林奮教授 / 講師 = 土谷武・鈴木久雄・脇谷徹 / 助手 = 小室正光・山崎隆 / 教務補助員 = 石井正美・若林千裕 若林奮、教授を退任。

学部9科目 短大4科目 計13科目 担当学生数1049名

1984

昭和59年

4月 鈴木久雄、助教授に就任(1989年、教授)。

保田春彦教授・鈴木久雄助教授 / 講師 = 建畠覚造・土谷武・脇谷徹 / 助手 = 小室正光・山崎隆 / 教務補助員 =石井正美・若林千裕

学部9科目 短大3科目 計12科目 担当学生数1069名

1985

昭和60年

保田春彦教授・鈴木久雄助教授 / 講師 = 建畠覚造・土谷武・脇谷徹 / 助手 =山崎隆・山崎公裕 / 教務補助員 = 鈴木佐知子・前中宏美

学部9科目 短大3科目 計12科目 担当学生数1060名

1986

昭和61年

学部9科目 短大3科目 計12科目 担当学生数1025名

1987

昭和62年

1月 保田春彦、共通彫塑研究室主任教授に就任。建畠覚造、客員教授に就任。この年まで彫刻学科助手は、夏期スクーリング業務を分担。

保田春彦主任教授・鈴木久雄助教授・建畠覚造客員教授 / 講師 = 土谷武・脇谷徹・岩岡道雄・山崎隆 / 助手 = 山崎公裕・水上嘉久 / 教務補助員 = 伊藤礼子・中村理恵子

江戸川区「みちばたの彫刻」制作・設置委託研究 実施

学部9科目 短大3科目 計12科目 担当学生数1025名

1988

昭和63年

保田春彦主任教授・鈴木久雄助教授・建畠覚造客員教授 / 講師 = 土谷武・脇谷徹・岩岡道雄・山崎隆 / 助手 = 山崎公裕・水上嘉久 / 教務補助員 = 伊藤礼子・中村理恵子

第2期 江戸川区「みちばたの彫刻」制作・設置委託研究 実施

学部9科目 短大3科目 計12科目 担当学生数1015名